鬼面の男が真っ直ぐに突き出した右の拳は、まるで砲弾。
 心臓を狙ったそれは打ち抜くどころか、当たれば周りの肉ごと破壊しかねない速さだった。
 それを、結界の魔法使いは両手で構えた杖で捌き、同時に杖の先端部分を鬼面に向けて振り払う。
 が、鬼面を叩きつけるはずだった攻撃は空を切る。
 鬼面の男は拳を突き出した体勢で腰を捻り、上半身を逸らして攻撃を避けると数歩後ろへ下がる。
 そうして僅かに開いた空間はしかし、下がる時より数倍早く踏み込みながら拳を突き出す鬼面の男に
よって埋められる。
 突き出された拳はまた捌かれ、鬼面の男はまた回避行動を余儀なくされる。
 拳は速さこそあれ手数は多くない。
 そもそも一撃どこかに当たればそれだけで致命傷になるのだから、手数よりは確実な一撃を取った。
 だからこそ鬼面の男は拳の一つ一つを確実に当てるつもりで突き出している。
 いるというのに、その全てを結界の魔法使いは中心よりやや上とやや下を握った杖の、両端と中心の三点を
使って捌ききり、捌く度に攻撃してくる。

 鬼面の男と結界の魔法使いことシーウェルン=カルク=タスナが対峙して数分。
 そんな着かず離れずの攻防が続いている。

 何度目かの攻防。
 鬼面の男が後ろに下がるのに合わせてカルクも後ろへと跳んで距離を取る。
 三メートルほどの、鬼面の男なら一歩で詰め寄りかねない距離で二人は立ち止まった。


 さて、どうしたものか、とカルクは思案する。
 確かに鬼面の男は強い。
 けれど勝てないとは思わない。
 むしろ切り札の一つを使うまでもなく勝つ自信がある。
 だが顔に出ているのは、自信ではなく緊張だった。

 『霊力使い』

 鬼面の男がそうであると、先程までの攻防で確信した。
 話に聞いた事はあったが、実際に見たのが初めてなら、戦うのも初めての相手。
 何に――など言うまでもないモノに取り憑かれているようだが、そこはさして重要ではない。

 抹殺指定を受けて逃げ回り続ける日々。
 逃げ回る先々で襲ってくる追手。
 その追手との戦いを生き抜くのに他の何でもなく一番彼を生かした直感が、告げる。

 ―――――この自信のまま仕留めに行けば、痛い思いをする。

 ならば退けばいいのに、カルクは鬼面の男へ足を踏み出す。
 直感は危険と告げるのをやめない。
 彼の眼の前には先程の光景の再現のように、踏み込んで右の拳を突き出す鬼面の男。
 顎を正面から砕こうとする拳を横から杖の先端で打ちつけて捌き、腕の内側から鬼面の男の身体へと杖の
先端を突き出した。

 鬼面の男が、一瞬戸惑う。

 それまでの攻防では杖で拳を捌いて、振り払ってきただけだった。
 それが今回は避けようとする動きに追従するように杖を突き出してきたこともそうだが、突き出された
杖の先端には威力が無く、まるで押し付けられただけ、という事が逆に一瞬後ろへ下がる足を止めさせ、

「『汝、試練に拒否されり』」

 その一瞬でカルクの詠唱は済んだ。

《「が――――――――――っ!!」》

 杖の先端から出現した、ガラスのような半透明の壁。
 現れると同時にそれに触れた鬼面の男は吹き飛ぶ。
 否、吹き飛ぶと言うよりは弾かれた。
 まるで同じ極の磁石が反発するように。
 しかしそれだけ。
 弾かれ地面を滑る身体に、ダメージらしいダメージは無い。
 勢いを使って、転がりつつ体勢を立て直す。
 そうして動き出そうとしたところへ、聞こえるカルクの詠唱。

「『押し潰す重鎚』」

 確認する暇も無く。
 鬼面の男へとてつもなく重い一撃が、振り下ろされた。

 剣のように構えた杖の先端を中心に、人なら二人はまるまる納まるだろう薄紫の円柱が左右にそれぞれ一つ。
 振り下ろされる姿はまるで巨大なハンマー。
 円の面とそれを繋ぐ線からなる円柱に重さは無く、その範囲に含まれた鬼面の男の身体は地面に沈む。

《「ぐ、ふ……ぅ……っ………!!」》

 鬼面の男が動かせるのは膝から下と、手首から先だけ。
 それ以外は円柱に触れて押し潰されている。
 力で押し付ける必要がないからと、杖を振り下ろした状態で維持し続けるカルクはそんな鬼面の男の姿を
見ても安心していない。
 直感はさらに強く危険だと告げている。
 それでも退こうとしない。
 そもそも、退くことができない。

 自分一人だけなら切り札を使うかわりに充分逃げることもできるが、境 武と彼に同調している親友の
娘はそうもいかない。
 故に、直感が危険と告げようがここで鬼面の男を戦闘不能にするか、或いは鬼面の男が逃げるかしかカルク
に選択肢はなかった。
 なら、彼は危険を分かった上で鬼面の男を倒す方を選択する。

 “概念容器”の魔力量は六割、このまま一気に押し切れるか?

 既に優勢ではあるが、危険を告げる直感を考慮して自問する。
 そのおかげで、彼はそれに気がつけた。
 突如視界に入った何か。
 それが何か文字のようなものが描かれた紙なのだと把握して――――――





 爆ぜた。





 カルクの眼の前の空間――見方次第では上半身がまるまる爆発したように見えたかもしれない――が爆発する。
 音と衝撃と熱風とが吹き抜け、煙が広がる。
 鬼面の男は何事も無かったかのように爆発した場所から数メートル下がった所に立っていた。
 重りだった円柱は爆発の時点で消失している。
 煙はすぐに晴れていき―――――――五体満足なカルクの姿があった。

「な、るほど。独自の式を使った札で魔法の真似事も出来るってことか」

 左手は杖を握ったまま、右手を眼の前に突き出した状態で呟く。
 両者の距離は再び開いている。
 表情の読めない鬼面の男に対し、カルクの表情は苦々しいものになっていた。

 魔導式一番を起動詠唱破棄の強制発動―――、“概念容器”の残存魔力量が二割を切った。
 今から補充は……苦しい。

 自身の状態を把握してカルクの顔がさらに苦々しいものになる。
 爆発から身を守るため、踏むべき手順をすっ飛ばして自分の武装とも言える魔法を発動させた。
 が、魔法とは手順が大事にされるものである。
 強力なものや、複雑なものであればある程それは重要になる。
 彼がした事は複雑な計算式の計算過程を無視して、問いの次に一気に答えを持ってきたようなものである。
 当然――――――、その魔法の発動には、瞬間的だったとしても割増された魔力を消費することになる。
 消費したなら補充すればいい話だが、魔力の補充には多少の精神集中がいる。
 鬼面の男への集中をそちらへ向けるだけの余裕は、あれば苦々しい顔などしていなかった。

 そんな様子をチャンスと見てか、鬼面の男が身体を前へ傾ける。
 それが迫ってくる合図だと気がついてカルクは素早く反応し、杖を持っていた左手を後端から中心へ移す。

 鬼面の男の足がカルクへ迫るため地面を蹴ろうとする。

 それより僅かに早くカルクが杖の先端、地味な装飾がされている円筒の中心、箪笥か小物入れのように長方形の
形に開いたその中から転がり出た石のようなものを右手で掴んで、放り投げる。

 「全解、『落つる重石』」

 放り投げると同時の詠唱で、石を中心に薄紫の球体が発生する。
 球体の中に含まれた地面は巨大な石でも落としたように押し潰される。
 瞬間的なものだったのか、球体はすぐに消えていく。
 その場所には直径五メートル程度のクレーターが一つ。

 鬼面の男はギリギリで踏みとどまって後ろに跳んだようで、数メートルだった距離は十メートルほどになっている。

 薄紫の球体を発生させていた石が、こつん、とクレーターに落ちて転がった。



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