九死に一生を得た人間のその後は大雑把に二種類に分けられる。
生きていることがどんなに素晴らしいかを知って日々を精一杯生きようとする者と
死というものを擬似的に知る事で死への感覚が麻痺し、生きていることが実感できぬ者とに。
ほとんどの人間は前者である。
では自分はどちらなのか―――――――
それは疑いようもなく後者である。
だって自分は生きていることも死んでしまうことも
そのどちらともが、どうでもいいのだから。
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俺こと境 武(さかい たける)は朝の爽やかな空気の中歩いている。
周りには俺と同じ学生の姿どころか人の気配すらない。
別に俺が遅刻したわけではないし、もちろん、早く登校したからでもない。
単にそういった道を遠回りになるというのに選んでいるからだ。
季節は梅雨も明け初夏に入る頃の七月
梅雨が明けているとは言えまだまだ蒸し暑い日が続いている。
今日とて例外ではない。
制服のボタンを二、三個はずさなければこの朝の爽やかな空気を感じるのが困難である。
そんな中特にどうというわけでもなく歩く。
そこへ突然のクラクション
後ろを振り返れば大型のトラックがこちらへと迫ってきている。
もちろん避けようと思えば避けられないわけではない。
だが俺はそうするわけでもなく立ち尽くす。
境 武は子供の頃に飛行機の墜落事故に遭遇した。
それはとても酷い事故で数多くの犠牲者の中、生き残ったのは俺を含め数える程だった。
その時の記憶は酷く曖昧でほとんどのことは思い出せない。
だが確かに分かっていることは
俺が助かったのは両親と姉が俺を助けようと身を挺したからということと
その時に両親と姉は死んでしまったということ。
それと――――――――――死ぬ事とはこの程度の事か、と感じたということ。
そのせいで事件の後の俺は生死に関してどうでもよくなってしまった。
死ぬという事がこの程度なら生きているということはそんなに大事なのか
そんな考えのまま今の高校二年まで生きてきた。
そんな考えなもんだから、もし自分が死ぬような事態になれば特に慌てたりせずそれを受け入れる
つもりでいた。
だから今この瞬間"死"というものが迫ってこようが何の問題でもない。
トラックの運転手には悪いが、相手が悪かったと諦めてもらうしかない。
―――――こんな死ぬ瞬間に笑う事のできる人間に遭遇してしまったことを。
その迫り来る死を眼前にしてそれを実感する瞬間を想像する。
クラクションが何度も鳴らされる。
それが尚更俺に死というものが近づいていると識らせる。
その時、何が起きたのか一瞬理解しかねた。
気がつけば視界がわずかに横にズレてトラックが正面でなくなっていた。
次いで自分が横から何者かに突き飛ばされたと理解する。
地面に倒れる体で必死に俺のいた場所を見る。
そこに立っていたのは1人の少女。
そのまるで教会の修道女を思わせる制服は俺の高校のものである。
その薄く赤みがかった茶髪の髪を後ろで左右に分けている少女の顔は見えない。
そして彼女はトラックに轢かれた。
彼女の身体は数メートル飛んで地面に落ちた。
その手足はありえない方向に曲がり、辺りに血の池を作っていた。
赤みのかかっていた茶髪は自身の血で完全な赤となり
黒が基調の制服も彼女の血の赤には負けている、彼女は赤に染まっていった。
「な…」
声がうまく出せない。
ついでに言えば身体もうまく動かせない。
ただただ赤に染まり続ける彼女を見ていた。
と、トラックから運転手だろう男性が降りてくる。
その体格のいい中年の男性は俺のところに駆け寄ってくる。
「大丈夫か?!」
「ええ…まぁ」
とりあえずそう返事はしたが内心では人を轢き殺したというのにそれほど驚いているわけでも
取り乱しているわけでもない男性に疑問を抱いていた。
この人は過去に人を轢き殺した経験でもあるのだろうか。
見たところそんな感じはしないのだが、それなら何故こんなに普通でいられるのか。
すぐそこに死体があるという……の…に
その場所を見て言葉を失った。
そこに在ったハズの少女の死体は
辺りに広がっていた血も含めてまるで始めから無かったかのように
―――――――消えていた。
男性が何か言っているがまったく頭に入らない。
俺は死体のあった場所を見つめ続けた。
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