「………ん」
眼が覚める。
視界には一面の青。
心地よい風を感じながら身体を起こして周囲を見回す。
どこまでも続いていそうな草原の中、少し離れた場所に探していたソレはいた。
立ち上がって、ゆっくりと草を食べているユニコーンに近づく。
草を食べるユニコーンを初めて見た時は神聖なイメージがガラガラと崩れたりしたものの、何度か見ている
うちにそれにも慣れた。
「ユニー、そろそろ行こっか」
呼びかけるとユニコーン―――ユニーは食事を止めてその姿を透明にしていく。
ユニコーン、と呼び続けるのも堅苦しい感じがしたので呼び名をつけることにしたのはいいが呼ぶたびに自分の
ネーミングセンスの無さを実感する。
いくらなんでもユニコーンだからユニー、はないだろう俺。
ユニーが完全に姿を消し、左腕の――少し模様の増えた――刻印を確かめる。
一応その呼び名を気に入ってはくれているみたいであるユニーに心の中で謝りつつ歩き出した。
ゆっくりゆっくりと草原を歩きながら、時折空の青を流れる白い雲を眺める。
「あー……なんか、平和、だなぁ」
思わずそんな呟きが漏れる。
だけど本当にそう思ってしまうくらいに。
『学院』から脱走した後の俺の日常は緩やかだった。
■ ―――――――――――――――――――――――― ■
さて、脱走のきっかけは割と単純だったりする。
「最悪、学院の魔法使いの実験体にされるかもしれないよ?」
カイトとの勝負の数時間後、眼を覚ました俺にカルクはそう告げた。
そんな馬鹿な、と笑いたかったけどさすがに笑えないのは自分が一番分かっていた。
今まで誰も見向きもしなかった召喚の魔法でユニコーンなんて召喚してしまったのだから、学院の魔法使いに
眼をつけられた可能性は充分にある。
「え、っと…じゃあ―――」
「うん。できるなら今すぐにでもこの学校……というか学院を出るべきだね」
「書類を提出して…受理されるのってどれくらいだっけ?」
「――いや。そんな時間はないな」
「え?」
声と一緒に先生が部屋に入ってくる。
その姿を見て、勝負の時に応援してくれたっけななどと思ったりしたけど、先生の言葉が気になった。
「先生。時間がないっていうのは――――?」
「………つい先程だ。アーリティル=ハインゼチルの身柄を引き渡すように、と学院から連絡が来た」
「やけに早いね。もう一日くらい後だと思ってたけど」
「私もだ。だがまぁ、あの雷はなかなか目立ってはいたから当然かもしれない」
カルクと先生はうーん、と唸ってしまう。
何と言うか、いつの間にか人生崖っぷちな状況になっていた。
「このまま実験体……ですか?」
苦笑しながらそう言うと先生に殴られた。
「いいか? 私はおまえが魔法使いをしている間は応援するし、そうでない時は知らないと決めた。が、だ。
だからと言って今、実験体にされると分かってるお前を渡したりなどするか」
「…スイマセンでした」
「………何を笑っているんだ気味の悪い」
そう言われてまた、今度は軽く、叩かれた。
それでも嬉しかった。
先生がきちんと決断してくれたことが、嬉しかった。
「本当に…笑ってる場合じゃないよ〜」
「っ! そういうお前もニヤニヤと笑うな!」
「ははは。だって今のルイナの言葉と行動が矛盾してるんだもん。やっぱり君は優しいね〜」
「……本気で言ってるんじゃないだろうな?」
「冗談だよ。僕だって…実験体なんて好きじゃないさ」
今度は二人とも黙ってしまった。
昔に何かあったのかもしれないけどさすがにそれを聞こうとは思えない。
それに、俺の崖っぷちな状況が変わったわけでもないからさすがにそっちが優先だ。
「と、とりあえずこれからどうしましょうか?」
「ん、ああ…それなんだが。おい、シーウェルン」
「ま、時間もないし。そうするしかないよね」
「では私は準備と時間稼ぎをしてくる。そうだな……三十分後に学院の外でいいか?」
「ああ。うまくやってね」
「そっちこそ」
そう言って先生は駆け足で部屋を出て行った。
この展開はもしかしなくてもそういうことだろう。
「さ、時間は待ってくれないからね。準備してとっとと脱走しちゃおうか」
と、そういうわけで。
アーリティル=ハインゼチルは学院から脱走することになったりするのである。
■ ―――――――――――――――――――――――― ■
「何だかなぁ…」
こうも平和だと逃げてるという感覚も無くなってしまう。
ちなみに―――何で逃走してる俺が草原なんかで昼寝してたりするかというと、ユニーの事があったからだ。
この刻印、一度召喚したものは情報化され、さらに刻印化されて左腕に刻むことで次回以降の召喚を容易にする
という機能があるのだが、正規の存在ではないとは言えユニコーンなんかの情報が詰まった刻印がそう簡単に身体に
馴染んでくれるハズもなく。
こうして人気の無い所で何回かユニーを召喚しているのである。
そうでなくても実際カルクや先生がいろいろしてくれたらしく追っ手が来る事はまず無いらしいのだが。
「それももう大丈夫そうだし……そろそろカルクの言ってた所に行こう」
追っ手がいなくて平和だからって逃げないわけにもいかない。
ポケットからメモ用紙を取り出す。
カルクから渡されたソレを見る限り、どうもニホンに行くらしい。
「後は行けば知り合いが何とかしてくれるって言ってたけど、どんな人なんだろ?」
カルク曰く『学院でも簡単に手を出せない』らしいけど。
そんな人が本当にいるんだろうか?
まあ、会ってみれば分かるだろうけど、気になる。
暫く頭の中をそのことでいっぱいにしながらのんびり歩く。
結局想像もできずにいっぱいになっていた頭は空になった。
その空になった頭のまま後ろを振り返り、今まで歩いてきた草原を見た瞬間。
何故かカルクの別れ際の言葉を思い出した。
『これからどうするつもりだい?』
最後の最後に変わらない調子でそう聞かれて。
何かを答えた。
その質問の意味を分かった上で、最後の最後にすぐに直面する現実を叩きつけられたと理解した上で答えた。
何と答えたかは――――覚えていない。
その俺の答えにカルクは何も言わず、そのまま別れた。
恐らく二度と会うことのない魔法使い。
きっかけを与えてくれたその魔法使いに感謝しつつ、直面した現実に思考を戻す。
直面した現実。
何て言うことはない。
これは俺が魔法を使えるようになって祖父が『愚か者』でないと証明すると決めた時から定められていたことだ。
魔法の使えない魔法使いが、魔法を使えるようになって魔法使いでなくなることの、その結果。
きっとどこかでそれを考えないようにしていたんだと思う。
目的というものが綺麗さっぱり無くなった。
平和な今。
まるで登山で頂上に辿り着いた時の達成感。
まるで運動会が終わった後の、また日常に戻るんだと思う時に感じるちょっとした寂しさ。
それらが混ざった感情に、この平和な現実。
目的が無くなった身体はどこか欠けたように軽くなったように思う。
「意外に……辛いなぁ」
思ってなかった。
いつでも空を飛べそうなこの不思議な感覚が、今を平和だと思えることが、こんなにも辛いとは思ってなかった。
必死に頑張って、頑張って、苦労したけど頑張って、目的を達成した。
正直もっと喜ぶんだって、思っていたのに。
なのにそんな感情は少しだけで、後は言いようのない虚しさを感じるだけ。
「次の目的なんてのもそう都合よく無いし」
だからしばらくはこんな感じで。
足が浮いているんじゃないかと思う不思議な感覚に顔をしかめて。
平和だと感じながら胸を痛めて。
生活のあちこちに虚しさが混じってくる。
そんな風に過ごすのだろう。
でも、それでも。
根拠も何にも無いけど、それでも。
でも次の目的なんてすぐに見つかるんじゃないかと思う。
きっと偶然祖父の資料を見つけたように、ある日偶然にポンと現れるんだと。
だから―――――
「だから、ああ、そっか」
不意に暗かった思考が結論に辿り着いた。
きっとこの平和で苦しい今は休憩なんだ、と。
新しい目的ができて、忙しい日々を送るまでの休憩。
休憩が苦しいんじゃあ意味がない気もするけど、それはそれ。
忙しい日々を送ればすっかりどうでもよくなるだろう。
だったらこの感覚を楽しんでおこう。
目的なんて一生にそう何個も持てるわけじゃないんだから今のうちに、たっぷりと。
「よし。きりきり進みますか」
前を向いて足を進める。
もはや浮遊感のする足は軽やかに、しっかりと動く。
黙々と歩き続ける。
その途中でそういえば、と思った。
「話してみたかったなぁ」
歩きながらポツリと呟く。
一度だけ。
祖父と一度だけでも話してみたかったと、叶いもしないことを思ってしまった。
でも今まで一度もしなかったその想像は気持ちよくて、少なくとも自分が目的を達成するまでにあった
いろいろや、それに費やした時間を後悔していないんだと実感した。
それだけ、と言えばそれだけ。
それ以上思考はどうこうならずに黙々とした歩みに戻る。
その後はずっと、ずっと歩き続けた。
背後には何もない草原が広がっている。
――――――――――――――――――目的を無くした今の俺は。
前にはやはりまだまだ続く草原と、いろんな風景が待ち受けているんだろう。
――――――――――――――――――どこで次の目的を見つけるだろう?
「『分からないよ。全然分からない』」
■ ―――――――――――――――――――――――― ■
少年のそんな自然の呟きと自然じゃない返答。
自覚した自然の呟きは今、誰にも聞こえず。
自覚してない自然じゃない返答は少し過去、結界の魔法使いが聞いた。
二つの意味はまったく違う。
だけども結果は何も変わらない。
少年はこれからどこかでまた目的を見つけて、またそれを達成するための日々を送る。
それだけのこと。
だから、少年の矛盾した魔法使いとしての人生はここで終わる。
お疲れ様、と言ってくれる者はいない。
頑張れよ、と言ってくれる者もいない。
それどころか見送る者すらいない。
これからどんな人生を送ろうとそれは変わらない。
目的を達成するための日々はたくさんのいろんな人に囲まれながら、達成すればきっと少年の周りには誰もいない。
今のように。
そうして遠い将来、少年は一人で死んでいく。
最後の瞬間も後悔だけはせずに、死んでいくのだろう。
そんな少年の姿はやがて草原から見えなくなる。
無人の草原には足跡すら見えなかった。
〜 Fin 〜
あとがき
TOPへ