子供は既に死んでいて顔も見たこともない祖父に対して悪いイメージを持っていた。
否、悪いイメージしか持てないでいた。
子供が周りから聞く祖父の話はそのどれもが祖父を悪く言うものばかりだったからだ。
そんな子供の家は魔法使いの家系だった。
だが当の子供には魔法が使えなかった。
原因は子供の父親に刻んで、なお子供にまで遺伝した祖父の創った刻印だった。
その刻印のせいで魔法は使えなくなった上にその他には何も効果らしい効果もない。
だから子供は、そんなものを創った祖父は『愚か者』なのだという話しか聞いたことがなかった。
だが子供にとってはそんなことはどうでもいいことだった。
―――――自分の家は他の人たちよりも特別だ。
たとえ魔法が使えなくても、その事実だけで子供は満足だったからだ。
だから、子供にとって自分が特別なんだと実感できるその場所はまるで宝物庫のようで
毎日毎日父の書いた資料や、初歩的な魔導書が置かれている書庫に入り浸った。
子供の生活はそんな風に過ぎてゆき、変わることなどなかった。
それを見つけるまでは。
ある日の事だった。
子供は一つの資料を見つけた。
単純に紙を束ねただけの古めかしい資料。
紙の古さからそれが祖父の書いたものであると子供は判断した。
そしてその資料を黙って読み始めた。
理由は純粋な好奇心からのものだった。
"あそこまで悪く言われる祖父の書いた資料はどんなものだろう?"
ただそれだけの純粋な好奇心だった。
だがその好奇心が子供の祖父に対してのイメージを変えるものとなった。
その資料は子供に魔法についての理解があるなしに関係なく読みづらいものだった。
書かれている字は震えていて読みづらく。
途中からペンのインクが無くなってきたのか文字がかすれだし。
ついにインクが無くなったと思われる部分より後は字の色が変わっていた。
変色こそしていたが、それが血文字なのだということは一目瞭然だった。
それから血文字で続いた資料の最後はもう文字と呼べるものではないものが書かれていた。
資料を読み終えた子供は思った。
祖父は可哀想だと。
ここまでして。
満足に字を書けない状態でなお魔法使いであろうとしたのに。
なのに誰も味方はおらず、祖父を『愚か者』と蔑む。
それがどうしようもなく可哀想だと、子供は思った。
だから子供にとって自分が祖父の味方になるんだと、
自分が魔法を使えるようになって祖父は間違ってない事を証明するんだと思うのは当然で。
子供はその日何よりも幼くて、でも何よりも固い誓いを誰にでもなく自分にした。
それから子供の生活はがらりと変わった。
既に魔法使いとしての繁栄を捨てた父に殴られながらも魔法の基礎を教わった。
子供が少年と呼ばれるようになる頃に努力の末何とか学院の学校に入った。
魔法の使えない少年の入学に周囲の人間は当然のように奇異の眼を向けた。
そして直接的なイジメが行われるのはそう時間のかかるものではなかった。
最初は間接的で陰湿なイジメ。
次いで直接的な暴力。
行き過ぎて魔法による火傷、凍傷などまであった。
それでも少年は学校を去ろうとはせず、修練に励んだ。
もちろん諦めようとしなかったわけではない。
涙だって流した。
誰もいない所で一人涙を流した。
だが、だがそれでも少年が諦めなかったのは思い出すからだった。
引き返すたびに頭の中をよぎる血文字の資料。
それを見ながら己に立てた誓いを。
そして断言できるからだった。
幼きあの日に感じた祖父が可哀想だという思い。
それだけは間違いでなかったと断言できるから。
少年はひたすらに道を進み続けたのだ。
だからたとえその道の終着が魔法使いにはなれないというものだとしても。
少年はその道を進むだけなのである。
■ ―――――――――――――――――――――――― ■
夜の廊下から見える月を眺める。
元々早く眠れる性質じゃないのと、アーリティルのことを考えたら簡単に眠れそうじゃなかった。
「まだ起きてるのかカルク?」
声にゆっくり振り返るとそこにはルイナがいた。
「スカラピッチだって」
「どうせ皆寝てるよ。いざとなれば記憶をいじればいいさ」
何気に凄い事さらっと言ってるなぁ……っていうか記憶操作なんて魔法使えないだろうに。
「一体どうやってさ?」
「簡単、強いショックを与えてやればいいだけだ」
うわ、どうか誰もやって来ませんように。
必死にそう願っている中、ルイナがフラフラと近づいてきた。
そのまま肩が触れる距離でルイナも外の月を眺めだす。
どうするわけでもなく、ただ時間だけが過ぎてゆく。
ルイナってこんなにボケッとしてるの好きじゃないはずなんだけどな。
なんて思っていたらルイナが口を開いた。
「なぁ…カルク」
「なんだい、君らしくもない」
「うるさい。それよりアーリティルはどうだ?」
なるほど――――――――ね。
「うん、頑張ってたよ」
「そうか、それなら、ああ、いいんだ」
まったく素直じゃない。
ちょっと様子を見に来るくらいどうってことないだろうに。
「それじゃあ、もう一つ」
「ん?」
「あいつは――――――あいつは"魔法使い"になれそうか?」
言葉が出ない。
一瞬だけ、本当に言葉というものを忘れた。
なんだ、彼女がこんな時間にやって来たのはそれが理由だったのか。
アーリティルに直接聞けないことが、聞きたかったのか。
ああ、彼女も気がついていたのか。
そんな思いが頭をよぎる。
ルイナはじっとこっちを見つめていた。
「それは、たぶんなれないと思う」
そうしてその眼に我に返った意識はそう告げるよう口を動かした。
そもそも、嘘は許さないというその眼を見て誤魔化そうとは思わない。
なにより彼女はそう言うと分かっていたはずだ。
「彼は魔法使いにはなれない」
だからもう一度はっきり告げる。
「そうか……やはりな」
どこか肩の力を抜いたルイナの眼が細まる。
そんなルイナに何て言ってあげればいいのか分からない。
昔なら何か思い浮かんだだろうに、時間の経過とは本当に溝を作るものだ。
「あいつは昔から違ってたからな」
少し間をあけてからルイナが語り始めた。
何も言えないから、ただただそれを聞くしかできない。
「私がアーリティルのクラスに配置されたのはあいつが十四の時……まぁ二年ほど前だな。
配置されて初めてクラスの連中と顔を合わせた時まっさきにあいつに注目したよ。魔法が使えない奴が入学したと
聞いてはいたが実際に見るのはその時が初めてだったからな。で、感想はと言えば拍子抜けするくらい普通そうな奴
ってのが正直なとこだった」
そのまま物思いにふけるように喋りだす。
「それでも物珍しい感じでちょくちょくと様子を見ていたんだが、ある日腕に火傷した痕を見つけた。それが魔法
でつけられたものだなんて一目で分かったよ。それで問い詰めてみれば他にも出てくる出てくる。身体中に痣や怪我
があった。私も甘かったんだ、あいつがイジメられていることにまったく気がつかなかった。それからすぐにイジメを
行っていた奴らを見つけてそうしないよういろいろ苦労したよ。でもそのおかげで今ではまぁ…若干一名がちょっかい
を出す程度になった。でもそれまでは本当に酷かった、今思い出しても胸くそ悪い。だっていうのにだ、あいつは私の
知る限り一度も弱音を吐かなかったし、泣くこともしなかった。魔法使いはいちいち他人のことなんて気にしないのが
普通だが、でもその時だけはどうしてそうなのか気になってしょうがなかった」
ずっと独白のような喋りを聞く中、それがまるで懺悔のように聞こえた。
「あいつが自分のために努力してるわけじゃないんだって気がついたのはその少し後だ。事情が事情だからあいつが
魔法を使えることに固執するのは分からないでもなかったが、それでもあいつは固執しすぎてるところがあった。
だけど私は教師であると同時に魔法使いだからそれが理解できても何もしてやらなかった。せいぜい応援してやる
くらいだっていうのに、それだって正しいことじゃない」
応援しているのに、でもそんな気持ちを持っていないということへの懺悔。
その道は間違いなんだとついぞ言ってあげられなかったことへの――
「だから正直お前がそこまで分かった上でアーリティルの魔法の練習を見てくれてるのは、嬉しい」
「気にする事じゃないよ」
悲しそうに笑うルイナの顔を直視できずに、空の月へと顔を逸らす。
「ああ。でも私は魔法使いとしては少し失格なのかもしれないな」
「でもいいんじゃないかな。少なくとも教師としては間違ってないよ」
「私は教師であると同時に魔法使いなんだと言っただろ」
そう言うルイナの顔はでも笑っていた。
うん、彼女は少し元気なくらいがちょうどいい。
「じゃ、よろしく頼んだぞ」
そう言い残して、少し明るさを取り戻したルイナは部屋へと戻っていった。
彼女の悩みが解消されたとまでは思わないけど、それでも少しは楽になったはずだ。
でなけりゃ僕が困る。
アーリティルとルイナの二人の問題抱えたって僕だっていっぱいいっぱいだ。
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