特に問題もなく午前中の授業が終わり、みんなが食堂へと走り出す時間。
俺は魔法基礎の授業が終わる時、先生に昼休みに自分の所へ来るようにと言われたのでこうして
先生の所へやって来た。
先生は尋ねてきた俺を見るなり、俺の手を引いて職員室の隣にある使われたことがあるのかどうか、
恐らくはないだろう応接室に入ってドアを閉めた。
中には先にやって来ていたのか魔法使いがソファーに座っている。
魔法使いと眼が合うと、魔法使いはやっほー、なんて言葉が合いそうな感じで手を振ってきた。
こうして見ると抹殺指定受けてる魔法使いには見えない。
先生もため息ついてるし。

「済まないな、昼食前に呼んだりして。すぐ終わるから」

「いえ。で…何ですか?」

「その前に、少し待て」

先生はそう言って、ドアに耳を当て数秒ほど外に誰もいないだろうことを確認して向き直った。
まぁ、これだけで何となく呼ばれた理由が分かる。

「遠まわしに言っても今さらだから率直に言うが、要はそこの男のことだ」

そう言って先生は魔法使いを指差す。
……やっぱりそうか。

「もう分かってると思うけど、僕のことは黙っててほしいんだ。数日の間だけでいいからさ」

魔法使いはそう言って、両手を合わせる。
これは……ちょうどいいかもしれない。

「いいですけど、お願いがあります」

「「お願い?」」

疑問の声と驚きの顔。
先生と魔法使いは見事に同じ様子で聞き返してくる。
それもそうだろう、まさかいきなり交換条件を持ちかけられるとは思ってもいなかったはずだ。
だけどかまわずに続ける。

「その、夜とかに俺の魔法の練習とか見てほしいんです」

言った、言ってやった。
もう今までの人生で一番か二番目くらいの勇気を出して言ってやった。

「ああ、うん、いいよ。どうせそのつもりだったからさ」

だっていうのに魔法使いは意外な答えを返してきた。
……………そのつもり、だった?

「え、ど、どうして…?」

「う〜ん…それは今日の夜に、ね。あ、今日の夜からでいいんだよね?」

「へ!? あ、はい!」

声が裏返る。
そんな俺の様子を見て魔法使いは笑いを漏らした。
そして、手を差し出してくる。

「じゃあ約束の証ってことで握手。がんばろうねアーリティル」

「はい。えっと……」

「ん、カルクでいいよ。上下関係とか嫌いだしさ。むしろカルクって呼んでくれないと嫌だ。ああ、でも
人がいるとこではスカラピッチで」

差し出してきた手とは反対の手の人差し指を立てて魔法使いは力強くそう言う。
いやだから、その偽名はどうだろうかと思う。
でも、その姿を見てなんとなく、本当になんとなく。

――――――――あ、タメ口で話せそう。

なんて思ってしまった。

「じゃあ……よろしく、カルク」

ちょっと戸惑いもあったが、思ったことを実行して手を差し出す。
想像通りというか、カルクは嬉しそうに頷いて俺の手を握った。
抹殺指定を受けている、だなんて物騒な雰囲気しか想像できない人物はその実もの凄くフランクな人だった。

「ふむ、確かにお前くらいの奴が見てくれるのはいい事かもしれないな」

その光景を眺めていた先生が納得するようにそう呟く。

「ま、できる限りはするよ。で、まぁ話は終わったようなものだしさ、お昼食べに行ってもいいだろ?」

「そうだな。アーリティル、とりあえずそういうことで頼んだ。では私もお昼に行かせてもらから、
お前も行ってきてくれ」

はい、と返事をすると先生はそのまま部屋を出て行った。
後に続くように俺とカルクも部屋を出た。

「それにしてもまだレーゼスおばさんが食堂にいたとはね〜。ああ、懐かしいなぁ」

食堂に向かう途中カルクは昔を思い出すような顔をしながらそう言った。
って…あれ?

「なぁ、カル…ああっと、スカラピッチ。食堂に行っても大丈夫なのか?」

食堂は生徒だけでなく教師も利用する。
ヘタするとバレるんじゃないのか?

「大丈夫だよ。レーゼスおばさんは一応味方だし、それに学校敷地内には午前中のうちに僕が仕掛けた結界が
発動してるから」

「結界?」

カルクは変なことを言ってる。
学校の敷地には既に侵入者用の結界が張られているのに結界を張った、だなんて。

「何もおかしいことじゃないよ。ここに張ってある結界ってのは一種の線だ、学校の外と中を区分するための、
そしてその線を越えてもいい者か判別するためのね。だから実際学校内に何か異変を加えるものではない。
故に線の内側に別の結界を仕掛けることも不可能なわけじゃない」

小声でボソボソとカルクは呟く。
しかし、なるほどそういうことか。

つまりケーキがあるとしたら、それに箱をかぶせたりしたら後からは手を加えづらい。だが、ケーキを囲む線が
引いてあるだけなら、その線よりも小さい箱をかぶせたり、その線の内側に更に線を引けるということだろう。

「言ってる事は分かったけど一体どんな結界を仕掛けたんだ?」

「暗示系のヤツをね。僕がいても不思議に思わないようにするんだ。まぁ僕の姿と本名を知ってる人には効果が無いんだ
けど。それでも数日隠れる分にはこれで充分さ」

さすが…『結界の魔法使い』なんて二つ名は伊達ではないということか。
でも、これなら魔法の練習を見てもらう相手として頼もしいかぎりだ。

「まぁ大丈夫ならよかった。って、少し急がないとマズイかも」

先生に呼ばれて話したのは大した時間じゃなかったけど、それでも余裕をもって昼食を食べるには些か心もとない。

「あのさ、アーリティル」

「走ろ―――――え、なに?」

駆け出しそうになった足を止めて、カルクを見る。
カルクは少しだけ考え込んで、こっちに眼を向けてくる。
それは穏やかで、でも真剣な眼だった。

「魔法基礎の授業のことなんだけどさ、ルイナはいつも君にああいうことをさせてるのかい?」

ああいうこと、と言うのは簡単な魔法の練習をみんなの前でやらせてみせることだろうか。

「うん。今日みたいな事なら魔法練習の時は毎回みんなの前でやらされてるよ」

そう、先生は必ずああいった簡単な魔法練習をやる時、俺を前で実践させる数名のうちの一人に入れる。
今まで一回もそうでなかった事はなかった。
でも――――――――それは。

「そうか………あのさ、勘違いしないであげて欲しいんだけどね。彼女は何もカイト君が言ってたような理由で
アーリティルにあんな事やらせてるわけじゃなくてさ」

「知ってる」

「え?」

そう、知っている。

「先生が俺にみんなの前でそうさせるのは、俺に諦めないで欲しいって思ってるからだってことは、知ってる」

何でかは知らないが先生は俺が魔法使いであろうとしている事を良く思っているらしい。
だからみんなの前であんな事をやらせる。
こいつは決して諦めない奴だ、とみんなに教えて、そうする事で俺に諦めるなよ、と遠まわしに訴えている。
そして俺はそんな先生の気持ちを知っている。
だから俺は何も文句を言わずにみんなの前で挑戦してみせる。
いい先生への精一杯の答えとして。

「そっか、知ってたか。なら良かった」

俺の言葉にカルクはそう言って笑った。


■  ――――――――――――――――――――――――  ■


アーリティルという少年は今まではたしてどれだけの苦悩を背負ってきたのだろうか、と思ってしまった。

ルイナから一生懸命ないい奴という評価を受けるほどの少年の名前を聞いたとき、彼が何者であるかは理解した。
だからこそ彼が魔法基礎の授業で馬鹿にされても平然としていられたことも、こうしてここにいること自体にも驚いた。
―――――――魔法の使えない魔法使い―――――――
自分と誰かを比較して自己の優位を決める時に彼ほどの比較対象はいまい。
カイトという少年のように声に出していなくても、あの場にいたほとんどの者は同じ考えだったろう。
そして、ああいった事は今日だけのことではないはずだ。
恐らく毎日、それも学校に入ったその時から今でも続いているに違いない。
そんなの――――――――耐えられるわけがない。
だから眼の前の平然としていられる少年は、きっとそれを『日常』として自分に組み込んだのだろう。
どれだけ辛かろうが、それが日常であるならまだ平気でいられるから。
そこに至るまでにどれだけの苦悩を背負ってきたのかは想像もできない。
流した涙も決して少なくはないだろう。
そこまでして魔法使いであろうとする理由も見当がつかないし、僕なんかが簡単に考えてみていいものでもない。
それでも、彼は魔法使いであろうとしている。
その姿は力強くて、でも小さく見える。
そんな彼が自分から魔法の練習を見てくれと言った。
本人が嫌と言ってもそうするつもりだったのだ、断るはずもない。

到達できるかどうかは定かではない。
矛盾を断ち切れるかも同じく定かではない。
たまたま僕がその立場に立てたというだけで。
それでも誰かが味方になって、誰かが教えてやらねばいけない。
そうでなくては、この矛盾した魔法使いがあまりにもカワイソウではないか――――――――!

そんな思いを胸に秘めて、食堂へと小走りに駆け出すアーリティルの背中を追いかける。
ああ、いい匂いが漂ってきた。



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