気がついたら彼女は叫んでいた。
アーリティル、と。
彼女の中でいまだ答えは出ていない。
だけど気がつけば立ち上がって勝負を止めようと走り出そうとして

「止めちゃダメだよ」

隣で呑気に傍観していたカルクに止められた。

「カル………っ! 何で止める。アレはどう見ても危険だ、止めないと!」

「アーリティルはそれを承知であそこにいるんだ。それに、君も魔法使いなら止めようなんて
思わないハズだけど?」

「………っ」

カルクの言葉に返す言葉も見つからず彼女は黙り込む。

彼女は当たり前だが普通の魔法使いである。
つまり魔法の研究、魔法を使っての目的の達成のためなら多少の犠牲は―――それが人の死だと
しても―――払える人間だということであり、同時にそれに対する代償で自分が死んでしまうこと
もちゃんと理解している人間だということだ。
故に、彼女はカルクの言葉に何も言い返すことができない。
眼の前で苦しみ叫ぶアーリティルが危険を承知で魔法を使おうとしていると言うならどうして彼女に
それを止めさせる事ができようか。
それに、普段本気でもなく応援しておいてこんな時だけ正反対のことをするなんて、できるはずがなかった。

「…だが、放ってはおけないだろう」

「………あのね、僕が言ったことだから言うけども。そういうセリフはちゃんと決断してから言わないと
気分悪いよ? 分かってる? ルイナ」

カルクの言葉にまったくその通りだ、と彼女は思った。
その言葉を言った自分自身が何よりもそうだと実感していた。
苦しげに俯いて、もう一度アーリティルの方を見る。

どうすればいいかなど欠片すら思いつかない自分がそこにいて、彼女は眼を逸らした。

何故自分はここにいるのだろう?
何故この頭は何も思いつかないのだろう?
何故この身体は立ち止まったままなのだろう?

馬鹿馬鹿しい、決まっている、私は――――――――――――――

「ただ自分の感情に問うだけで答えが出るのに何でそんなに悩むんだかなぁ。まさか教師の仕事もそんなに悩んで
やってるんじゃないだろうね? 教師向きだって言ったけどそうだとしたら何で教師やってるのか疑問になっちゃうよ?」

めんどくさそうで、でも心配して口早に責め立てるカルクの声が彼女の右から左へと通り抜ける。
ほとんど聞き流すしかできなかったその言葉の、最後の部分がやけに彼女の意識に引っかかった。

何故教師をやっているのか?

彼女が教師をやっている理由は単純だった。
ただ教師のみに与えられる特権を利用したかったからだ。
彼女だけに限らず教師をしている魔法使いはそれが理由と言っても過言ではない。
研究や実験に費やせる時間を減らしてまで教師をするからには与えられる特権もそれ相応のものである。
彼女は自分の目的のためその特権を欲した。
理由なんてほんとにただそれだけ。
今だってその理由は変わらない。

だけど、と彼女は思う。
だけどそれなら、教師なんてただやっているだけだ、と割り切れるはずではないのだろうか?
だが現実はどうだ。
割り切れてなどいない。
そして何より私は友人である魔法使いに何と言っただろうか。
確か、こう言った――――

『教師である前に魔法使いだ』と。

それはつまり、魔法使いである前に教師であると言っているんじゃないか。
おかしい。
一体どこからそう考えるようになった?
そう考えて、

いきつく答えはやけにあっさりと出てきた。

顔を上げる。
眼の前には先程と同じ光景がある。
それを眼を逸らさずに数秒しっかりと見つめて、彼女は座った。

「答え、出たみたいかな?」

少し心配そうに聞いてくるカルクに彼女は胸を張って答えた。

「ああ。もう、大丈夫だ」

「そ。で、これからどうするの?」

「簡単だ」

そう言って彼女は立ち上がり、息を吸い込む。

「アーリティル!! 頑張れ!!」

大声でそう叫んで、そのままカルクの方へと振り向く。

「こういうことだ」

「きっちり決断できたみたいで、なによりです」

「迷惑をかけたなシーウェルン」

「まったくだよ。でも、ま、やっぱり君には意図的にそう呼んでもらわないと落ち着かないし。よかったかなぁ」

「そうか。それはよかった」

そう言って彼女は再び座る。



答えはやけにあっさり出てきた。

結局自分が真面目に教師をしているのはアーリティルに手を出しはじめた頃からで。
要は真面目に教師なんてするハメになったのはアーリティルのせいで。
それなら少なくとも教師をしてる時はちゃんとアーリティルを応援してやればいい。

他の魔法使いが聞けば頭に疑問符を浮かべるだろう。

だが隣で満足そうに笑っているカルクを見た彼女にとって、

その答えは悪くなかった。

■  ――――――――――――――――――――――――  ■

「――――――――が――――っ、ぎ―――――――――――――!!!!」

気合が入ったからと言ってこの状態がよくなるわけでもない。
むしろ意識がハッキリした分痛みが酷く、っ!!!!

視覚はとうに歪みきっている。
聴覚もほとんど意味を持たず、聞こえるのは歪んだ音だけ。
もっとも、聞こえた音を認識することももう困難だ。
味覚に嗅覚もたぶん歪んでしまってるだろう。
そして、感覚に関しては壊滅的なクセに痛みだけは、違う、痛みしか感じないから他の感覚がない。
両手両足なんて歪みきって身体についているのかも怪しい。
でも痛みでそれすら分からない。
寒さ、暑さ、空気の流れ、身体を流れる汗。
それらすべての感覚が痛みの感覚に塗りつぶされる。
痛い、痛い痛い痛いイタイ痛い痛い―――――――!!
だと思っていたら唐突に痛み方が変わる。
皮膚が丹念にめくられていく。
それこそまるでリンゴの皮を一度も途切れさすことのないくらいの丹念さ。
歪んでいる部分も綺麗にめくられていく。
そして皮膚がめくれた部分は中身が歪みだす。
両手両足の先から始まったそれは身体に及んだ。
ただでさえ歪んでいる肉と骨がさらに歪む。
そのまま身体の皮膚も綺麗にめくれ、中身が、心臓が内臓が大腸小腸が、全てが歪む、歪んでいく。
それら全てが痛い。
今まで歪みと痛みは別だったのに。
ここにきて歪みと痛みが同じになった。
外は刃物が這いずり回って、中はもう表現不可能。
痛い、とにかく痛い、痛みだけで発狂を通り越して何度か死んでいる。
それが現実だと思えるくらい痛い。
もう呼吸だってできない。
それに苦しむ間もなく顔の皮膚がめくれ、中身が歪んで―――

「あ――――――――――――――――――――――――――――――」

感覚も歪みきった。
あれほど気が狂いそうだった痛みは嘘みたいになくなった。
身体は外も中も歪みきってしまったからだろうか。
だけど歪みは止まらない。
身体だけでは足らず、記憶をも歪ませ始める。

現在が歪んでいき、過去に侵食していく。
過去が歪んでいき、現在と混同していく。
記憶から時間というものが意味を無くす―――

その中で、それを見た。

決して広くはない書庫。
その奥深くで見た手書きの資料。
視界は酷くぼやけている。
この記憶はいつのものか。
過去か現在か。
判断がつかない。
でも何の記憶かはきっちり分かる。
祖父の書いた資料を見つけた時の記憶だ。
可哀想だ、と強く思った。
だってそうだ。
あんな――血文字を使ってまで資料を残そうとしたってことはもう死ぬ間際だったってことだ。
もっと安らかに死ぬことだってできたはずなのにそうしなかった。
最後の最後、自分が死んでしまうまで魔法使いでありつづけたのに。
その祖父を『愚か者』。
可哀想だと本当に思った。
だから涙は自然と出た。
だから誓いも自然と出た。
魔法を使えるようになる、と。
祖父は『愚か者』なんかじゃないと証明するんだ、と。
何より、自分だけは祖父の味方でいるんだと、そう誓った。
他の誰にでもない自分自身に。
そうでなければ立派な魔法使いだった祖父が報われない。

「ああ、だから―――――」

誓いは嘘じゃない。
魔法に辿り着けるチャンスがある。
失敗してもいいとは思った。
だけど、挫けることだけはしちゃいけない。
ああ、だから

「こんなことで……痛い痛いなんて言ってられるかーーーーーー!!!!」

歪みが消える。
あれだけ歪んだと思っていた身体が元に戻る。
続くように聴覚、視覚なども元に戻っていく。
最後に記憶も再び過去と現在に振り分けられる。
その前に、過去に戻る直前の記憶から鮮明な誓いを抜き出して少し色あせた誓いに上塗りする。
誓いはより固く鮮明になった。
そして世界は歪んだまま、自分は元に戻る。
どれだけの時間が過ぎていたのか魔力は残すところあと僅か。
左腕にはまだかまだかと光る刻印。

「ああ…やっぱり、愚か者なんかじゃあ、なかった」

全ての理解を頭の中に、僅かに残っていた魔力が出て行く。
歪んでから聞こえてきた今でも響く言葉。
それが何なのか分かる今、自然に言葉を口にする。


「 Shackles take off.枷をはずせ。


Chain cut off.鎖を断ち切れ。


A key is cancel.鍵はもう解かれている



歪んだままの世界が変化する。
境界線の無かった色彩は線から形へと戻ってゆく。


Is not in sight the places believes the heart,見えぬその先我が心を信じ、

The heart believes is not in sight the places,我が心見えぬその先を信ずるなら、

Thread pull to mutual,it turn change a road.糸は互いを手繰り寄せ、それこそが道となる。



そうして世界も一つの場所を除き元に戻った。
眼の前の空間。
そこに人が簡単に通れるくらいの大きさの歪んだ空間の穴がある。
それはやはり歪んだ空間。
だが――――――

その向こうには何かが、確かにいる。


The gate is opened from the beginning.門は、最初から開いている。


Rest only the pass―――――――――!!なれば後は、ただ通るのみ 」



だから呼びかけ、まるでその呼びかけに答えるかのようにその何かは歪みから飛び出してきた。


それとほとんど同時に、光が襲ってきた。





NEXT
TOPへ