「まさか本当に逃げないなんてな」

カイトの声を軽く聞き流しつつ深呼吸する。
あれから同じ練習を繰り返しているうちにあっという間に勝負の時間になった。
場所は魔法実践訓練所―――普通の学校で例えるなら体育館のような所。
勝負とはいえ一応授業の中で行われるわけで俺とカイト以外のクラスメイトは外で観戦している。
そう、外――――
建物の中のさらに中。
俺とカイトが勝負する空間は上下四方をきっちりと魔法で壁をして外と内とを隔てている。
「つまり…この中で逃げ回るしかないってか」

範囲は充分に広い。
魔法を使うことを前提で造られたこの建物は、小さい農園くらいはできそうなくらいに広い。
だけど魔法使いにとって、魔法にとって距離なんて一体どれくらいの意味があるだろうか。

「二人とも…準備はいいか?」

「いつでもどうぞ」

先生の声にカイトが答える。
さぁ、ここまで来た。
失敗しないなんてありえないんだから。
だからいいかげんにビビるな、俺。

「はい、大丈夫です」

最後に深呼吸をして答えた。

「それではこれより模擬戦を開始する………始めっ!!」

先生の合図と同時に右側に思いっきり跳ぶ。
同時にカイトの詠唱。

Defrost解凍、A1…! FlameOpen!炎展開

たった一瞬の詠唱だったのに、でも跳ぶ前まで立っていた場所に現れた炎の柱は結果の天井部まで
届く大きさだった。
充分な距離で避けたのに熱気はまるで本当に焼かれてしまったように感じる。

あれが圧縮詠唱―――!!

あらかじめ詠唱を圧縮しておき、必要時に使用する方法。
元より作用した詠唱を圧縮、保存しているそれは解凍、使用すれば即座に作用する。
脳内に圧縮した詠唱の保存先を持たせるか、魔法で常日頃から仮想保存領域を創るかしなければ
ならない点こそあれ、それさえできればこれほど詠唱を簡略化できる手段はそうはない。

それをカイトはやってのけた。
だからって退くわけにもいかない、やらないと。
まずは魔力を溜める。
試合前にあらかじめ溜めておけたのはおおよそ半分。
あともう半分を溜めながら逃げないといけない。
思いっきりカイトに背を向けて走り出す。
余力なんて考えない全力疾走。
逃げる後に続くように火柱が何回も現れる。
途中何回か後ろ髪を焦がされながらも逃げる。
エーテルの吸収は練習してたかいあってかこんな息切れしそうな状態でも普通にできている。
まっすぐ走ればいいような的にしかならないので左右に動きながらちらりと後ろを見た。
カイトはまったく動いていない。
馬鹿みたいに逃げるこっちを見て、何故か―――よく見えなかったが―――不思議そうな顔をして
詠唱している。
とりあえずこのまま距離をとれば向こうも狙いにくくなるはずだ。
そうして走る足に力を込めて――――――――

Defrost解凍、A5、Frozen Rain氷の雨

――――――――降り注いだ氷塊に顔面をぶつけた。

「〜〜〜〜〜〜っ!!」

痛い。
だけど痛がってられない。
早く逃げないと、やられる。
でも、身体を走らせようとしてそれが出来ない事にようやく気がついた。
降り注いだ氷塊は俺の周囲に降り注いでいるうえに、氷塊の一つ一つが大きな岩なみの大きさだ。
簡単には逃げ出せそうにない。

「やっぱり出来損ないは逃げる事しか出来ないのか?」

カイトの馬鹿にした声。
逃げられそうにないので諦めて振り返る。
だけど今はそんなことに気をとられるわけにはいかない。
魔力が溜まりきるまであと数分。
意識はあくまでもエーテルの吸収に。
早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く――――――――――――!!
一分でも一秒でも早く溜めようと必死になる。
でもこっちの焦りなんかまったく知らずカイトは詠唱する。
間に合わないな、と思った瞬間に周囲の氷塊とその中にいた俺の身体が火柱に包まれた。

「なに…?!」

「あ、れ?」

驚きは俺とカイトの両者。
火柱に包まれたハズの俺の身体は焼け焦げるどころか何にも変わっていなかった。
一体何がどうなって……?

「ああ、ゴメンゴメン。言い忘れてたよー」

疑問符を浮かべる俺とカイトに呑気な声がかけられる。
見れば声と同様呑気な顔をしたカルクが手を振っていた。

「どういう、ことですか?」

「いや、実力差はもとよりいろいろとアーリティルの方が不利だしさ。アーリティルには勝負前に
僕が護身結界をかけておいたから」

「な…! そんなの―――」

「ズルイって? でも僕は一切手出ししないなんて約束してないよ? ま、詠唱型だから持続時間も
長くはないし、強度だって手加減してあるから君が本気でやれば難なく砕けるはずだよ」

とかなんとか。
カイトがカルクとの会話に熱くなってるうちに自分の身体を確かめる。
結界なんていつかけられたのか分からないが、あの火柱に包まれてこれなんだから本当なんだろう。
だけど髪の毛が何回か焦がされたとこをみると発動条件でもあるみたいだ。
たぶん魔法が直撃するとかそんなだと思うけど。
ともあれ、魔力が満タンになるまであと一分と少しくらい。
今のうちに逃げて時間を稼いでやる―――!
カイトに気づかれる気づかれないは関係なしにまた全力で走り出す。
と、すぐさま背後に火柱。

「逃げるなこの出来損ない!!」

逃げるなと言われて逃げないのは天然さんかただのアホだけだ。
少なくとも俺はどっちでもないつもりだから逃げる。
と言ってもいいかげん全力疾走が辛い。
魔法の特訓は毎日やってたけど、身体は別に鍛えてたわけじゃない。
だから当然息は切れる。
だけど走るのは止めない。
周囲にさっきと同じ氷塊が降り注ぐ。
だけど距離が離れて見えにくくなったおかげか、さっきと違って随分バラバラに落ちている。

「くっ!!」

一気に前の氷塊と氷塊の人が何とか通れる程度の隙間を跳んで抜ける。
肩などをぶつけながらも何とか通り、そのまま一回転して止まる。
背後を見ればやはり火柱。
いくつかの氷塊も瞬く間に蒸発していっている。
呑気に通り抜けようとしてたら巻き込まれた可能性大だ。
それだけ判断して走るのを再開する。
少しの間何もないと思ったけど、すぐに火柱が追いかけてきた。
それもより正確に。
距離が離れてからは少し火柱の発生場所がズレてたのに。
今は本当にスレスレに狙ってくる。

「ハァ…魔法で……視力…補助……して、るのか……ハァ…ハァ……?」

たぶん間違いないだろう。
にしてもカイトは俺と同い年のはず。
それで圧縮詠唱ができるのも凄いけど、ここまでちゃんと魔法が使えるなんて。
下手すれば大人の魔法使いとも勝負できるんじゃないだろうか?
つまり…………口は悪いけどそれなりの実力はあるってことだ。
やっぱりそういう奴からすれば俺の存在なんて気に入らないんだろう。
でも俺だって―――――

Defrost解凍、A7、Refuse Wind拒否する風

突然の突風。
簡単に身体が吹き飛ばされた。
面白いように吹っ飛んだ身体は地面に何度かバウンドして止まった。
身体を確認しながら立ち上がる。
身体を打った衝撃なんかはもちろん痛いけど、何度か身体を通り過ぎた風の刃での怪我は結界のおかげ
でなかった。

「そら、もう逃がさないぜ。いいかげん諦めろ」

カイトの姿が十メートルあるかないかの位置に見える。
どうやらずいぶんと吹っ飛ばしてくれたらしい。
でもカイトには悪いけど逃げる必要はなくなった。
とりあえずやっと魔力が満タンになった。
後はやるだけ、だ。

"あの全てが歪んだ世界をまた見るのか?"

"半分でアレだぞ。満タンでやれば間違いなくおかしくなるぞ"

自分の声がうるさい。
まだ逃げようとしている。

「カイトはさ、凄いと思う。きっと秀才って言うんだろうな」

「?」

いきなり話しかけられてカイトが訳のわからない顔をする。
でも問題ない。
こんな会話はただ自分に再確認させるためだけのもの。

「だからお前みたいな秀才からすれば俺みたいな魔法の使えない奴に腹がたつってのも分かるよ。
でも俺だって―――――」

左手を突き出す。
迷って迷って、でも変わらない答えを呟く。

「俺だって引き下がれない。やらなきゃいけないことがあるんだ……っ!!」

タンクからの管は全開。
魔力を一気に放出させる。

痛みだとかそんなものは無かった。


いきなり世界が、自分が歪んだ。





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