建物の廊下を歩きながらカルクは考える。
僅かな資料だったけど何をしようとしてるかは容易に想像がついた。
それを行える素質があるのかは不明だが、元より素質も無しにあんなことは考えないだろう。
そしてアーリティルが刻印起動に必要な魔力を持っているかだけど、多分問題なし。
後は実践でどこまでできるか…ということだ。
できることならうまくいくと願いたい。
昨日からずっとアーリティルは練習を続けている。
休憩したのなんてせいぜい睡眠したニ、三時間程度だ。
今も昼食を済ませてさっさと練習しているはずだ。
「ま、努力が報われる世界じゃないけどさ」
努力してその分報われるくらいならどれほど楽か。
努力をしても結果が出せず発狂する魔法使いが年に何人も出る世界だ。
アーリティルが報われるのを願うのは本当はバカみたいな事だ。
おまけに彼は魔法使いとは程遠い位置の人間ときている。
でも、それでも彼は―――――
「っと…通り過ぎるとこだった」
進めていた足を止めて、眼の前にあるドアをノックする。
「ルイナ〜? 入るよ〜?」
返事は無い。
そのままドアを開けて部屋の中に入る。
「…カルクか、どうした?」
「なんだ、いるんじゃないか。だったら返事くらいしてほしんだけど」
「すまん」
「ああ、いや、別にいいけどさ」
……おかしい。
何と言うかルイナがらしくない。
まぁいつもどおりじゃないから今ここにいるんだけど。
「昼に食堂で君が休んでるって聞いたから。どこか具合悪いのかい?」
「……そういうわけでは、ない」
ルイナの声は小さかった。
まったく、それじゃあ自分からどこかおかしいです、と言ってるようなもんじゃないか。
口にはせずに呟いて近くにある椅子に座った。
「じゃ、どうしたの?」
「…………少し、分からなくなった」
「はい?」
疑問の声に答えるようにルイナがポツポツと喋りだす。
内容は昨夜のアーリティルとの会話。
喋るだけ喋り終えたルイナは分からない、ともう一度呟いた。
「事情は分かったけど…分からないってのは?」
「アーリティルの反応だ。私を怒るなら分かる。それくらいに酷いことをした。だけどアイツは
礼を言ってきた。だから…どうしたらいいのか分からなくなった」
どうしらいいのかとは、これから先教師としてアーリティルに接するべきか、魔法使いとして
接するべきかということだろう。
そのこと自体で悩んでいた矢先にこれとは。
だが…こうなるのはきっと時間の問題だったはずだ。
アーリティルはきっと遅かれ早かれルイナの悩みに気がついただろうし。
何故なら彼はルイナのような―――自分の味方をしてくれる―――人物には敏感だろうから。
祖父のために魔法を使えるようになると決断したその時から、誰からも、親からすらも味方に
なってもらえず独りだった彼が味方をしてくれる人物に敏感なるのは当然だ。
「ま、つまりは君の優柔不断がいけなかったってことだね」
「そう、だな」
「…………………ぷ」
「ぷ?」
「ぷははははは! だっていうのに! 君ときたらねぇ? あはははは!!」
あんまりにも可笑しくてついに笑いが止められなくなる。
唖然としていたルイナが何が可笑しい、と怒鳴ってきても笑いが止められない。
昔からそうだったけど彼女は自分のことには鈍い。
前はともかく今だったら決断材料はきっちり揃っているというのに。
「カルク!」
「あはははは……ゴメン、ゴメン。でもさ、簡単じゃないか」
「え?」
「君がこれからどうすればいいかなんて、簡単じゃないかって。それなのに思いっきり悩んでる
んだもんなぁ。いや、君らしいね」
本当に、今なら簡単に答えが出せるというのに。
答えはとても簡単――――ようするに
「君はアーリティルに礼を言われた時に嬉しいと思ったのかそうでなかったのか。その答えが
君がどうすればいいかの答えじゃないか」
言って立ち上がる。
そろそろアーリティルのとこに戻らないといけない。
ルイナはまた唖然としてしまったが、まぁそっとしとこう。
後は本人で決断してください、と。
後ろ手にドアを閉める。
「まったく…いつまでたってもしょうがないなぁ」
とか言っときながらきっと顔は笑ってるんだろう。
久しぶりに会った知り合いに助言ができたってことに。
ああ、僕もまだまだ甘い。
「ま、後はアーリティルの方だね」
呟くと同時に気持ちを切り替えて廊下を歩き出した。
■ ―――――――――――――――――――――――― ■
「思ったよりは慣れてきたかな…?」
食堂でカルクと別れてから部屋で魔力を貯めるのと、魔力を放出する練習を繰り返した。
ずっとそうしてたからか、ついさっき魔力を外に出した時はあまり痛みは感じなかった。
「ていうか明日なんだよなぁ」
ポツリと呟いて、そのことを実感する。
だとすれば休んでいる暇はない。
「少し…試してみるかな」
魔力を出し切って空っぽの身体にエーテルを取り込む。
それが半分近く貯まったくらいで作業を止める。
深呼吸を数回繰り返し左手を突き出す。
試すのは今までのように意識して徐々に魔力を出す、ということではなく。
意識して体内の魔力を一気に外に出す、といったことだ。
別にカルクからそういうことを言われたわけじゃない。
でも、きっとそうしないといけないということは分かっていた。
だから、迷わず一息で魔力を外にだ――――
「ぎっ!? が、ぅ―――――――――――――っ!!!」
出した瞬間、何の前兆もなく身体全体に走る激痛と共に世界が歪んだ。
ぐにゃりぐにゃりとまるで熱で溶けたかのように世界が歪んで、曲がる。
それとも自分の身体が歪んでいるのか。
やけに冷静にいられる要因である激痛は、でも次第に冷静さすら奪っていく。
「―――――――――――――――――――――――――!!!!」
声は出た。
でも歪んだ世界か、それとも歪んだ身体はそれを認識しない。
魔力の放出はまだ続いている。
タンクから外へ向かう管は全開にしても全て出し切るまでに数秒を要する。
だからまず、出すのを止めないと。
激痛に堪えながら左手を見る。
でも歪んだ眼は歪んだ左手を見れなかった。
見えるのはただただ歪んだ世界のみ。
気が狂う。
この歪んだ世界と身体に、そして身体を駆け巡る激痛に。
魔力はまだ少しある。
おかしい、感覚が。
もうとっくに数秒は経過しているはずじゃ、痛い。
思考の間にも世界は歪む。
もう原型なんて分からない、全てが混ざりそうなくらいに歪んでいる。
判別できるのはうねり狂う色彩だけ。
身体ももう混ざり始めているかもしれない―――――まだ、終わらないのか。
色彩に急に赤が混じる。
いや、もとからそこは赤かったけど、痛い、その赤が発光している、狂う、助けて。
頭の中に、もう在るのかどうか怪しい頭の中に、まだなのか、何かが流れ込む。
恐らく言葉、駄目だ、でも歪んだ頭じゃ理解できな、もう耐えられない、い。
「が―――――――――――――――あ――――――――――――――――――――!!!!!!」
赤の発光が消えた。
言葉が途切れた。
歪みも、激痛も無くなった。
意識が失せた。
「――ル。アーリティル」
聞こえる声が自分のことを呼んでいるんだと理解して眼が覚めた。
視界には、何故か天井と、名前を呼んでいたカルクの顔があった。
「えっと……カルク?」
「眼が覚めたかい? よかった」
曖昧に返事をしながらカルクに助けてもらって立ち上がる。
何がどうなっているんだろう?
考えようとして身体全体がやけに気だるいのと、外の様子に気がつく。
「あれ? 何でもう夕方なの?」
いつの間にか外はきれいなオレンジの光で染まっている。
「……覚えていないのかい?」
「え?」
「僕が帰ってきたらいきなりぶっ倒れてたんだよ。しばらく寝かせてたんだけど、うなされてたしさ」
「んんっと………」
カルクの言葉にまったく思い当たるところがない。
だけど実際気を失ってはいたわけで。
必死に途切れた記憶の糸を手繰り寄せる。
「――――――あ」
「何か思い出した?」
ばっちり思い出した。
と、同時に身体全体の気だるさが痛みになった、ような気がした。
「く……っ」
「アーリティル?」
「ああっと、平気平気。で、何があったのかだけど」
痛みはやっぱり気のせいで、気だるさを何とか堪えながら何をしていたのか説明した。
話し終えるとカルクは思いっきりしかめっ面になって
「マズイなぁ」
と全然そんな感じをさせない一言を呟いた。
「ゴメン…勝手なことやっちゃって」
「いや、別にいいんだ。そもそも今日の夜に君に言おうとしてたのは君がやったことなんだ」
「魔力を一気に外に出す?」
「そう。それも魔力満タンで。その刻印の起動自体は少量の魔力でいいんだろうけど、起動を持続させる
には一気に魔力を外に出さないといけないみたいだから。でもいきなりそんな無茶させられないと思って
慣れさせてたんだけど」
だけど実際半分とはいえ試してみれば、慣れだなんてものはほとんど関係なかった。
あれは、何もかもが歪んでいくあれは気が狂いそうになる。
おまけに激痛もセットされるし。
「くそ、完全に予想外だったな。ある程度何かあるとは思ってたけどそこまでだなんて」
「でも明日にはそれをしなきゃいけないんだろ?」
「そうだけど。でも、無理はしないほうがいい。やっぱりやめとこう。僕が頭下げるから」
カルクが提案してきた"逃げ"に一瞬だけ心が揺らいだ。
でも、駄目だ、それは駄目だ。
「いや、やろう。明日ちゃんと。もし失敗しても経験にはなるし」
「…! ヘタをすれば死ぬかもしれないんだよ?」
「でも、逃げることだけはしちゃいけない。きっと、せっかく近づいた道が遠くなる」
はっきりと意志を込めた眼でカルクを見る。
カルクは数瞬迷った後
「君は逃げるわけなかった、か。分かった。じゃ魔力を一気に出すのはぶっつけ本番にして、それまで
やってた練習を繰り返そうか」
どこか苦笑したような顔でそう言った。
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