『根源』―――――、といものがある。
人の意思、あるいは属性。
その個人が生まれて初めて強く思ったことや、強く惹かれたものが根源になりやすい。
一度決まれば変わることはなく、行動などに根源が影響したりすることもある。
親から子へと遺伝しやすいものでもあるが、必ず、というわけではない。
そして、その根源を通じていけば世界の一端に繋がる事も可能だ、と誰かが――魔法使いか、能力者か、或いは
それ以外の何かが――言い、大して疑われることもなく定説とされた。
世界ではそれぞれの人間が千差万別に物事を考え、何かを思っている。
だが、まったく誰一人として考えていない、思っていないことを考え、思う人間はいるか? いない。
たとえ身近にいなくとも、世界のどこかには自分と同じ考え、思いをしている人間がいる。
つまり人は多種多様複雑なようで、実は根源の数に振り分けられるということだ。
何百か何千か、数こそ分からないが、現在の人類の総数に比べればかなり少ないだろう数に。
しかし、どうしてそうなるのか?
個人が個人であるのなら、根源の数にまとめる事などできないはずだ。
それこそ人類の総数と同じ数だけの根源が存在するはずである。
でも、人類は既に存在する根源、もはや『型』とも言えるそれのいずれかに該当してしまっている。
この世界は、星は、人類は歴史を重ねているのだから、型があっても当然と言えば当然だ。
が、ならば、型とも言える根源。
これは一体誰が保有しているのか?
型、という事はつまり一番初めのもの。
一番初めの人類、またはそれに近い者。
とうの、とうの昔に死んでしまっている者のこと。
それらが持ちえた根源を型として、現在の人類をその型に分類させたのなら、それらの人物は生きているはずだ。
でも、それらの人物は死んでいて、型はきちんと存在している。
ということは答えは一つ。
型たる根源を保有しているのは――――――この世界、星そのものだ。
星の理由など知りはしないが、星が根源という情報を記録し、一番初めのそれを型とした。
そうすることで人類という種を管理しやすくしたのかもしれない。
ともあれ誰かが言ったことは事実ということだ。
人類の持ちえる根源を星の持ちえる型のいずれかに該当させる(恐らくいずれにも該当しない根源を持つ者が現れた
場合、その者の死後その根源を新たな型として記録するのだと思う)仕組みである以上、自身の根源を通じれば型に
触れるという形で世界の一端に触れる事も可能だということなのだろう。
けれど、それが分かったところで簡単にそれができるわけではない。
むしろ魔法使いの一部や他の人間も苦労している。
それでも諦めようという声が無いのは、一説に能力者は自身の根源を通じて世界の一端に触れたことで能力者に
なったのではないか、というものがあるからだ。
そうして日々いろいろと研究なりが進められている中で、日本という国の一部の人間がおもしろいことをした。
人物の苗字、名前、またはその両方に意味を持たせることで自身の根源に触れやすくしようという試みだ。
そのまま意味を持たせた名をつかう者もいれば、同じ読みをした違う字をつかうものもいた。
後者は俗に言う『真名』というもので、日本で最も使用されている呪いにも近いシステムのようなものだ。
これが意外と効果があった。
ただでさえ遺伝しやすいものでもある根源を、さらに真名でもって方向性をある程度決めてしまっている上に、
真名が世界の有する型の根源に繋がる手伝いのような働きまで行った。
さて、そんな真名の影響で能力者になった家系を一つ。
名前は『四神』
真名は『死神』
元々はあらゆる災厄にかからないようにと、玄武・白虎・青竜・朱雀が守護するという意で四神と名づけたが、
名づけた側は意図していなかったにせよ死神という真名を持ってしまった。
そうして四神は数代目から『死』の根源を持ちやすくなった。
元からそういう家系だったのか、真名に引きずられたのかは定かではないが、死の根源を持つ者が何代か続いて
ついに世界の一端と繋がってしまった。
世界の『死』に。
一端と呼ぶにはあまりにも規模がでかく、それ故に得た能力はデタラメもいいところだった。
『あらゆるモノを殺すことができる』能力。
まさに真名、まさに死神。
世界の殺害権利を人の身で行使する、奇跡のような存在。
―――だからこそ根源を通じて世界の一端に触れようという者は後を絶たない。
―――これほどデタラメな奇跡が起こりうると知れば諦められるはずがない。
この能力を使う者は真名から『死神』と呼ばれ希望と恐怖の眼で見られることになる。
有名になるのにも時間はさして必要なかった。
そして、四神の名があらゆる意味で有名になった頃。
ごく一部の者の間で、課題とも言えるような話が広まった。
「世界の死に、どこまで対抗できるのか――――?」
まるで冗談のような話。
しかしこの冗談のような話こそが、今回の舞台ができたそもそもの理由である。
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